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1974年6月2日    [想い出]

今日は2014年6月2日.1974年から数えてちょうど40年である. 

1974年6月2日に何があったのか、は古いカーレースファンならば憶えていると思う.
当時の国内レースのトップカテゴリーである『富士グランチャンピオンシリーズ』
通称グラチャンと呼ばれ、大きな人気を誇っていた.

6月2日、グラチャンシリーズ第2戦「富士グラン300㎞スピードレース」が開催.
そのレース中の事故で2名のドライバーが死亡した.
鈴木誠一選手(37)と 風戸裕選手(25)である.
当時ワタシと、友人の故・遠藤君は風戸選手のファンだったのだ.

その日、ワタシは石和の親戚の家でブドウのジベレリンの手伝いをしていた.
午後3時頃だったろうか、ブドウ棚に吊したラジオから事故のニュースが流れた.
ファンだっただけに信じられなかった.

鈴木選手はベテランで「走るメカニック」と言われるほどメカに精通していた.
そして風戸選手は成長著しい若手で、海外のレースにも遠征し、当時F1に一番
近い日本人と言われた.もしあの事故がなかったら、中嶋悟さんではなく、
風戸選手が日本初の(レギュラーな)F1ドライバーになっていたかも知れない.
大人しくて物静かな、知らなければレーサーには見えない青年だった.

あれからもう40年もの月日が流れたのか.
アイルトン・セナが死んで今年で20年、そして去年友人の遠藤君が死んだ.
あの事故以来、富士スピードウェイの30度バンクは廃止された.

6月2日、グラチャン第2戦の午後2時スタートの第2ヒートで2名が死亡.
2は不吉な数字だ、と、しばらくワタシは2を嫌った.

そしてもう1つ奇妙な出来事.
5~6年前、仕事で行ったあるお宅で、そこの奥さんがまったく何の脈絡もなく
突然「風戸選手の心霊写真を持っているの」と言って写真を見せてくれた.
それは当時の事故の写真だったと思うが、まぎれもなくあらぬ所に風戸選手の
顔が写っていた.
なぜその奥さんがいきなりそんなことを言い出したのかまったくわからない.
それまで世間話のひとつもしていなかったのに、だ.

そんなことであと4分で6月2日が終ってしまうので、早々にこの記事をUPしないと.
遠い日の悲しい想い出.


参考記事
http://afw.fc2web.com/ziko/1974fujiGC2.htm


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